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提督は経済を回す [GAME]

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どこだここは?
え、秋葉原?
ウソだ。こんなオシャレな駅前が
電気街改札なワケないッ!


…と、昭和のおじさんは狼狽えるのでした。

本日、提督仲間に誘われて
数十年ぶりに彼の地に降り立ってみれば、
あまりの変わりように軽くパニックに陥った次第です。

私の記憶にある、最も古い記憶ではこの辺り、
2畳分くらいの小さなパーツ屋がごちゃごちゃとひしめき合っていたはず。

その先の大型量販店で、
当時最新のメタルテープ対応カセットデッキ、
「TC-K65」を親に買ってもらったことを懐かしく思い出します。

もう40年以上前のことです。
それと比べちゃあいけませんよね。

その後、東京で暮らすようになってからも、
秋葉原にはよく足を運びました。

主な理由はレコードやCDやレーザーディスクを買うため。
当時の大型店、例えば石丸電気とかは、
予約すると沢山の特典グッズを付けてくれました。
それ目当てにわざわざオートバイか自動車で
現地まで来ていたのです。

そんな大型店舗もその数を減らし、
秋葉原という街の意義も何度か変わって今、
私にはもう何をするために来る街なのかわからなくなってしまいました。


さて、ではこの日の目的は何だったかというと。。。

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秋刀魚を食べに来ました。

提督仲間が予約してくれての初参戦です。

で、その中身はというと…

『二号膳・新秋刀魚御膳』と名付けられ、
¥5080を払って食べたそれは、
(正確にはワンドリンク強制オーダーで+¥429)
申し訳ありませんが、
この値段を取れる品質ではありませんでした。
席も狭く、時間の縛りもあります。

なので思考を切り替えましょう。

給仕してくれるのは”遊撃隊”、
つまり艦これキャラのコスプレをした若い女性です。
オリジナルグッズが飾られ、モニターにはリアルイベントの映像が流される
この空間を楽しむための料金であり、食事はおまけ、だと。

席についてからのオーダーは全て追加注文となり、
別料金が発生します。
さらに、オリジナルグッズの注文書が各席に置かれていて、
これで欲しいものを頼むことになっています。
私の周りの提督たちは皆、¥5000〜¥10000をさくっと払っていました。

いや、良いんですよ、皆が楽しければ。
実際、霧島も比叡も可愛かったし、
隣の提督とも楽しく会話しました。

としても、私のようなオッサンには、やはり似つかわしくない場所だったのでしょう。

ま、秋刀魚が食べられたから、
人生経験として納得できています。はい。

ただね、
提督よ、
足元見られてるヨ。
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「ゴミ拾って褒められる」のは劣化? [時事]

ドイツに勝ったのは、私が観戦していなかったからです。
…なんてね。

あるじゃないですか、そういうの。

ま、それはともかく。

現地で観戦したサポーターや、
試合に出場した選手たちが
客席やロッカールームをきれいにして退出したことを
世界中のメディアが取り上げています。

概ね好意的なものですが、やはり逆を打ってくる人もいるもので。

『「ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性」
  W杯日本代表&サポの清掃、大王製紙元会長がブチギレ批判「気持ち悪い」』

    ※記事は『J-CASTニュース』のものですが、元記事が見つからないので「livedoorニュース」より

なるほどね〜〜〜〜。。。

一理あります。
でも、私には賛同できない。

日本人って、どんな人種なんでしょう?
”いかにもな日本人”って、世界的に見たら恥ずかしい存在なのかな?

私は逆だと思いますし、
この記事のネタになった『元会長』のような人間にはなりたくないです。

確かに日本人の民度が低くなっていると、私も感じることがあります。
ええそりゃもうたっくさん。

そうであっても、多くの人がマスクを着けているこの国の人たちに
根付いた考え方を私は好きですし、誇りにも思います。

激動の昭和に、向かい風に逆らって進んで来られたこの『元会長』にとって、
理想とする日本人はおそらく、
太平洋戦争真っ只中の「強いお父さん」としての態度を
海外の人に向かって殊更主張するような人、なんでしょうね。
結果、戦争に負けてしまった。
正しかったのか、間違っていたのかの判断はここではしません。

ただ、いまのこの星の上で、
強いお父さんを心の拠り所として突き進む国は
周辺国の理解を得られない気がします。

このお方、プーチンと気が合いそうですよね。

私は清掃、続けた方が良いと思います。

現地の人の職を奪う、なんて言ってますが、
本当にそうなら現地の世相が悪すぎる。

そもそも中東諸国で働いてるのは
アジアからの出稼ぎ者だったりはしますが。

いずれにしても、問題の本質は別のところにあります。

決して、清掃した人たちを貶めることは認められません。
私には。

賛同している元都知事もいらっしゃいますが、
まあ、だから失脚したんだよね、と。

とにかく、外国に行った日本人は、
日本人らしさを貫いて欲しいと思います。

…可能なら、ですけどネ。

無理しちゃいけません。
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『本当の民主主義』とは一体。。。 [時事]

韓国での痛ましい群衆事故から二週間が過ぎました。
もはや日本では話題になっていませんが、
忘れるべきではない大きな事故だったことは変わりません。

さて。
このことに関するネット上のある記事を読んで、ふと疑問を感じました。

『[梨泰院事故]この事故を「自己責任」で片づける日本人は、
            民主主義を本当の意味で理解しているのか』

                            mi-mollet より


なんだろう、ものすごい違和感。

軽装で登山して遭難し、ヘリでの救助を要請する人って、
こういう考え方なんだろうな、って思います。

確かに、江戸時代の日本は『民主主義』ではなかったかもしれません。
でも、今の日本人の意識はその頃のままなんでしょうか?
そして、それは改めるべき悪しき習慣なのでしょうか?

私はそうは思いません。
もちろん、全てにおいて古い考え方のままで良いとは思いませんが、
その考え方に根ざしているからこそ、
日本人を日本人たらしめる特徴が形成されているのだと思います。

日本人が皆変わりたいと、
欧米や韓国のような考え方になりたいと、
そう思うのなら皆で変われるよう努力するべきでしょう。

少なくとも私は嫌ですし、そんな必要もないと思います。

さらに言えば、日本が韓国と同じ考え方を規範とするのなら、
外国からの観光客はその数を減らすでしょうね。
だってそれ、日本的じゃないから。

話が逸れました。

この記事を書かれた方はおそらく、
韓国をお好きな方なのでしょう。

韓国に比べて日本はなんて…
という言い方に読み取れます。

いや、ここは韓国じゃないし、
韓国を基準にして物事を考えるのは正しいとは思えません。

あー、感情論になってはダメですね。

何を書いても意見が偏りそうなので次の一文を最後にします。

「韓国の人って、
 正しく民主主義を理解しているの?」
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崩壊してるのは作画か視聴者か? [アニメを作る]

アニメ好きを自負する方々なら聞いたことがるであろう
『作画崩壊』という言葉。

字面の通り、作画が崩れてしまうという
絵で映像を作るアニメーションならではの、
品質に対する批難の言葉です。

そこに突っ込んだ記事を見つけたので読んでみてください。

『プリキュア手掛けたアニメ監督が語る「作画崩壊」真の理由
                      揚げ足取りの場合も』

                       DIAMOND online より

記事を書いたフリーライターのかたは
アニメの現場を擁護するために書かれたのだと思いますが、
少し言葉が足りない、というか、
かなり小さい視点で語っておられることが
私には残念に映りました。

コメントを寄せた監督さんの言っていることに間違いはありません。
ただ、部外者にわかりやすいよう、要点を絞って話しています。

あるいは、受け取る側(ライター)の理解が追いついていないのかもしれません。
または、読み手(読者)の理解力を考えて記事を要約しているのかも。

ここで語られている『作画崩壊』とは、
主にキャラクターやプロップ、メカ等の
フォルムやディテールに関することです。

キャラが似てない、くらいならまだ知らず、
目がロンパリ(片目がロンドン、片目がパリを見ているからロンパリ。
視線が左右でバラバラになってることを指す)だったり、
片手の指が6本あったりといった全く許容できない間違いもあったりしますが、
それは”作画”全体の中の一部でしかありません。
そして、誰にとっても判りやすいイージーミスでもあります。

それが起こる理由は記事の中にある通りですが、
実はこれが理由の全てという訳でもありません。

昨今のアニメを見るに、
絵そのものはもちろん、映像の作り方自体もガタガタな作品は少なくないのです。

ところが、視聴者はそれに気付かない。

だから深夜のアニメは無くならない。
だって、品質が低くても見てくれる人がいるから。
さらに言えば、安く作れるのでクライアントにとって都合が良い。
あわよくばヒット作になって金儲けができる。

…甘いよ、作る側も見る側も。

作画崩壊をはじめとした品質の低下が起こる理由は、
実は後継者を育てられない業界の体質によるところが大きいのです。

アニメーションは「総合芸術」ですから、
関わる人は全ての工程において「クリエイター」であり、「アーティスト」です。
そもそもセンスが必要な『創作活動』で、それをなんとか商業ベースに載せているわけです。

”品質”と”利益”という、ともすれば相反する事柄を出来るだけ高いレベルで達成するには
それなりの知識や経験が必要です。
ま、そんなのアニメに限ったことじゃないですけど。

残念なことに、この知識や経験を後世につなぐことができていないのです。
しかも、後継者そのものの数が少ない。

それはやはり、制作費が安いことに行き着く。
状況を改善するには、桁を一つ上げないとダメでしょう。
3割り増しとか、倍増とかじゃあ話になりません。

逆にいうと、そんなに少ない予算で現場は動いているのです。


さて。
ここからは矛先を視聴者に向けます。

あなたは、ひどい映像を見せられているのですよ。

え? かわいいキャラが喋っているから満足だって?

それ、そもそも「アニメ」って言って良いのかな?

都市伝説のように業界で語られている話があります。

『キャラを動かしたら絵が崩れた。それを見た視聴者から
 「俺の推しになんてことするんだ!」とお叱りが来た。
 なので、キャラは動かさずに”止め口パク”で見せるようにした』

馬鹿げた話ですが、おそらく実話です。
アニメーションなのに動かすと文句を言われる。
可愛い女の子の絵に、お気に入りの声優が声を当てればそれで満足、
なんて言ってる人を、アニメファンとか呼ぶのは
私は悔しいです。

私はアニメを作って、観てもらう側の人間ですから、
視聴者に対して文句を言うべきではないでしょう。でもね、
より良い品質を求めてクリエイトしたことに何も反応がなく、
本質と違うところで批難されるのはなかなか辛いものなんです。

これは視聴者にも考えてほしい。
『何が”良いアニメーション”なのか、その基準は何か?』

放送されているアニメ作品の中には、
レイアウトがメチャクチャでパースが出鱈目なカットや
それ以前にカットの繋ぎが成立してなかったり、
カメラ位置が十分に吟味されていなかったり、
大体にして画面の作り方が稚拙で情けない表現になっているものがあるのです。
(絶対に作画崩壊しない『3Dアニメ』でも、これらは避けられません)

あくまでも私見ですが、そんな残念な作品の割合は半分ぐらいはあるのでは。。。

キャラ崩れを見て「作画崩壊だー」なんて騒ぐ前に、
あなたの、アニメーションを評価する基準を振り返って欲しいと、
作り手として思うのです。

その行き着く先は、アニメ作品の減少です。
それとともに、弱小プロダクションは淘汰されていくでしょう。

それも悲劇ではありますが、
実際、アニメなんて儲かる商売ではないのです。

日本の給与水準と同じく、
アニメの制作費はこの30年、上がっていません。
いや、もっと前から変わっていないかもしれません。

韓国や中国へ下請けに出すことでなんとか成立させていましたが、
もはや人件費は日本が一番低いとさえ言える状況です。
そう遠くないタイミングで業界が破綻します。

アニメーションを作る側と、
アニメーションを観る側の両方に
大きな意識改革が必要です。
できるだけ早く。

もうそんなに時間はありません。

作画崩壊が起こる理由は冒頭の記事にある通り、予算の問題です。
でも、もっと深い視点でアニメーションを観ることができれば、
作品自体が許容できないレベルのものもあるということです。

ただ、それ自体がダメということではありません。
より良い作品にはより高い価値を認めましょう。

小学生の描いた絵と
AIの描いた絵と
ピカソが描いた絵、
全て同じ価値ではありません。
評価の基準は各々で違うのです。

見る側もそれを理解してほしいし、
理解しないままではずっと酷い映像を見せられることになります。
(酷いアニメを見てもそれに気づかない人は、
 中途半端な批判なんてやめた方が良い。恥ずかしいから)

遠回しに言えば、
作画崩壊の理由の一端を見る目のない視聴者が担っているとも考えられるのです。



あああ、
解りにくい文章になってしまいましたが、
言いたいことの要旨はこうです。

『本当に酷い映像を正しく「ヒドイ」と言える目を持たないと、
 損をするのは視聴者自身だよ』

「作画崩壊」という言葉を使いたいだけの”俄ファン”は
永久に損をし続けます。
そうならないように、観る側もしっかり見識を高めた方が良いと思います。
単に「個人の好み」だけでなく、客観的な評価ができるように。



う〜んやっぱり、
私が言って良いことじゃないな、コレ。

忘れてください。。。
(でも記事は消さない)
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他人の”自由”に脅かされる命 [時事]

まずはこの記事を読んでください。

『マスクを外さない日本人、
    自分のことは自分で決められないのか』

            「QJWeb」より

概ね常識的な物言いで、多くの文に賛同できるものですが、
私には一つ、納得できない部分があります。

それは、この記事を書いた方の『自由』というものに対する考え方です。

個人の自由が行き過ぎ、
その裁量にその一個人の基準のみが使われ、
それを非難する事が「時代にそぐわない」のであれば、
ではあなたは、コロナウィルスの保菌者かもしれない人が
マスクをせずに自分と2mも離れていないところを歩いていても、
その人の自由だからと納得しますか?

私は、今現在、マスクを着けている人が
『自分で考えている人』であり、
この状況でマスクを外している人は
『何も考えずに誰かの言いなりになる人』だと思っています。
(勿論、何らかの理由があってマスクをつけられない人もいると思いますが、
 割合的にはかなり少数だと考えています)

『自由』という言葉を語る時、
必ず対にして考えなければならない事があります。それは、
『自分以外の自由』です。

自分の自由のためなら、
他の誰の自由も関係なく無視できる、なんて考えるやつは
社会に存在するべきではないのですよ。

一般の人にとって「マスク」って、他人に病気を”うつさない”ために着けるものです。
違いますか?
じゃあ風邪をひいた人がマスクを着けるのはなぜです?
風邪をひかないようにするためなら、風邪に罹患する前につけますよね?
しかも、いつかかるか分からないから常に。年中。
そうじゃないですよね?
であれば、今マスクを着けている人の、一番大きな理由は
『他人に病気をうつさないため』でしょう。
(”うつらない”効果も当然考慮して)

それをやらない、マスクをしない、ってことは、
仮に無症状でコロナウィルスを保菌していたとしても、
誰にうつろうが知ったこっちゃねえよ、ということですよね。

良いんですね?それで。

私は嫌です。
病気になりたくもないし、
病気をうつしたくもない。

それはやはり、コロナ(COVID-19)だからです。


さて。
私はマスクを着けるのが嫌いだと、
当ブログで何度も主張しています。
できれば早くマスクの不要な社会に戻ってほしい。

ではそうなるにはどんな要素が必要なのでしょう?

特効薬が開発されてコロナが生命に危険を及ぼす存在ではなくなる、か、
すでに克服可能な病気として感染症法の分類を5類に下げることです。

ま、この辺はこれまでにもこのエントリーで記しているので
これ以上は言いますまい。

この文章で言いたいのは、
『自由』というのは、「何をやっても良い」という意味ではない、ってこと。

他人に迷惑をかけてまで押し通していい自由なんて、そんなに多くないと思いますよ?

そして、そう考えるのが日本人の特徴だからこそ、
この国が外国の方々から支持されているのだと思います。

そう考えない日本に、
一体どんな魅力があるというのでしょう?

他人に配慮する習慣というのは欠点ではなく、
世界に誇れる日本の優れた特徴だと、私は思っています。

そういうことをしない国は、
大体隣国と問題を抱えていますね。
そう、なりたいですか?
彼らの考えの方が正しいと、思いますか?

…そうですか。
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それほんとに「誰かのせい?」

お隣の国でまた大きな事故が起きましたね。
(”また”の他の事例は沈没した客船です)

若者を中心に150人以上が亡くなるという悲惨なものでした。
ご冥福を祈りたいと思います。

さて、連日の報道で、
ネット上での犯人探しが加熱しているようですが、
この事故(あえて”事件”とはしません)、
一体誰が悪いのでしょう?

企画されたイベントがあったわけでもなく、
人が大勢いた。
状況としてはそれだけです。

当ブログにほぼ影響力というものが無い、という前提で
少し厳しいことを言わせて貰えば、
被害に遭った方々は、自らの意思で『そこに居た』のです。

某報道番組で一報を報じたベテランタレントが
「私には意味がわからない」と言って物議を醸しましたが、
実は私の感想も全く同じ。

そもそもそこに居なければ被害には遭わなかった。
でも行った。
それは誰の責任?

そう、行った本人の責任です。

ワイドショーで流されるいくつかの当日現地の映像を見ましたが、
客観的に見て十分に身の危険を感じる状況でした。

私が思うに(あくまでも私の想像)、
その状況もその場にいた人たちは楽しんでいたんじゃないですか?

気づいた時にはもう、事故が不可避な状況だった、と。

残念ながら、その場にいた人たちには
単純に『危機意識』が欠如していたんだと思います。

大きな悲劇に見舞われて、気持ちの整理ができず、
責任を誰かに押し付けたくなる気持ちは理解できます。

でも、自らその場所に身を置き、
ただその場所にいたことが理由で巻き込まれたこの事故で、
一体誰に責任を負わせようというのでしょうか?

何件かの悲痛な通報が警察にあったと言われていますが、
通報した人は警察に何をして欲しかったのでしょう?

自分が遊ぶのに周りの人が邪魔だから排除してほしい、ってこと?
自分からその場を離れることはできなかったのでしょうか?
おそらくそう、すでにできない状況だったのでしょうね。
そうなる前に、そこから離れれば良かったのに。

とても残念な話ですが、
離れずにそこにい続けたのは、その人の意思ですよね。

政府や警察に対応を求めるとしたら、
じゃあ特定の場所に人が集まらないように管理する、ってこと?
イベントがなくても?

ハロウィーンがイベントじゃないか、なんて言わないでくださいね。
イベントととらえるのは個人の裁量ですし、
それを事故が起きたから誰かに責任を取らせる、
なんていうのはムシのいい話だと思うのですよ。

この件に関しては、お国柄はあまり関係ないかもしれません。
今年の渋谷では大きな事件・事故は起きなかったらしいですけど、
先に他の国で起きた事故が抑止力になったことは
否定できません。

大変言いにくいのですが、
大人の言うことを聞かなくなった若者にとって、
こういうことが数少ない『教訓』となっていくんじゃないかと思います。

自分の頭を使って、
物事の真理を理解して、
他人にできるだけ迷惑をかけないように、
…と考えられない人たちに対して、
隣の国が先生になってくれた、と言うことなんだと思います。



余計な心配かとは思いますが、 この文章が炎上するなんてことはないですよネ。
あくまでも私個人の一つの考え方であって、 同調を押し付けるものではありません。


一生勉強、です。
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