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叱らない親は子供の成長にとって悪でしかない [時事]

このブログでも何度も語っている、

他人の迷惑は考えず、自分の権利だけ主張する人

こんな人が増えているのは、
無闇に放たれる個人の自由といった言葉と
それに伴う周囲の人との繋がりの欠如、
またバブル以降の世の中に蔓延する無気力さや無責任さからくる
想像力や当事者意識の低下によって
何もしない、関わらないことをよしとする感覚が
積極的な対応から人々を遠ざけているんじゃないかなあと、
まあそんなことを私は考えているわけですが。

そんな気持ちにスッと入って来たこんな記事を紹介します。

『不満を感じただけで”いじめ”だと主張する…
   最近の子供を苦しめる”押し返される経験の不足”という大問題』

                       PRESIDENT Online より

私は残念ながら子育ての経験なく人生の終盤に入ってしまいましたので
こんな話をするのはおこがましいのですが、
やはり世の親の育て方が間違っていると思うことは多々あるのです。

最近、自分ごとでこれを感じているのが、
私が関わったあるアニメ作品についてのネットでの反応です。

「セクシー田中さん問題」もあり、
小説や漫画原作ありの映像化にはアニメ業界も
問題意識が高まっている(高まってますよね?)昨今ですが、
やはり気になって自分の作品をネットで検索したりするのですよ。

そうするとまあ、辛辣な意見が出てくる出てくる。
ちょっと落ち込みます。

でもよく見てみると、否定的な意見のほとんどは
「原作と違う」
「私の知っている作品とは違う」
「私の感じた印象と違う」
と言う主張であり、
作品の良し悪しを語っているわけではないことに気付きます。

原作と完璧に一致させることはできません。

映像を観る人と原作を読む人とでは、
対象が完全に同じ、ではないからです。

また、映像と小説や漫画との違いは
『時間軸』の存在です。

もちろん、小説であれ漫画であれ、作品の中には時間が流れています。
しかし、小説や漫画の中に流れる時間は読み手が自由に調整できますが
映像は全てリアルタイムです。言ってしまえば事象の時間軸を表現するのが映像なのです。

そこに生まれる認識の齟齬を
「改悪」と理解するのはあまりにも身勝手で思慮に欠ける考えだと思います。
また、それを声高に主張するのも無責任です。

”違い”を認識するのは扉のノブに手を掛けただけにすぎず、
その違いが良いものなのか、悪いものなのかを客観的に指摘できなければ
評価という高尚な行動に結びつきません。

また、好きか嫌いかを
作品の評価に結びつけるのもあまりにも稚拙です。

「辛口批評」とか見出しにつけている人のほとんどは
評価には程遠い、ただ自身の好き嫌いや表面的な印象に
無意味な言葉を並べ立てているだけです。

原作と違うことにどんな意味があるのか。
なぜその表現を使ったのか。
それは適切だったのか。
意図した通りに視聴者に伝わるものだったのか。
そもそも何を意図したのか。
これらを理解して咀嚼して別の意見として他人に伝えられてはじめて、
批評や評価が成り立ちます。

もっと掘り下げたいところですがここで言いたいのは
あくまでも子育ての話。
戻しましょう。

自分の思い通りにならないことを否定し、回避する。
それを続けていけば社会に適合できないことは明白です。

そうならないように親が子供を躾ける。

なんなら近所の大人がやってはダメなことを教える。

こんな社会構造無くして、
みんなが幸せになる社会って、成り立つんでしょうか?

単に個人がわがままを通せる社会って、
本気で実現できると思ってる人、います?

高速道路で故意に事故を起こして人を殺しておいて、
裁いた裁判官に「俺が出るまで待ってろ!」とか言えちゃう人間が
実際にどんどん増えてる世の中に危機感を覚えませんか?

色々と守られている学生から社会に出た時、
思い通りにならないことなんて山ほどあります。
いやむしろ、思い通りになることなんてほとんどない。

そんな時、自分ではなく周囲をなじって、
とにかく逃げて逃げて、それで一体どこに辿り着くんだろうか?

それじゃあ生きていけないよと、
大人に教えてもらえなかった子供がかわいそう。

ああでも、
仕方ないよねと自分を誤魔化し続けた結果が今の自分か、と考えると
理想を語ってもちょっと辛いなあ。

世の中の親御さん、
大変な思いをしていることでしょう。お疲れ様です。

私には世の中が子育てしやすい環境になることを願うことしかできません。

せめて良い大人になりたい、なあ。。。
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